奇を衒う

いつの頃からか、気を衒う事が全てだというような風潮になってきた。制作費も無い、宣伝費も無い中で、手っ取り早く世の中に知らしめるにはニュースネタになるしかない。その為にはどうすればよいか。ニュースネタになる為だけにコンテンツが作られる。より拡散される為に「気を衒う」のである。いつしか本末転倒し、気を衒う為だけにコンテンツが作られるようになった。

それは、「出落ち」である。中身が本当に研究対象となるような深みがあるならいざ知らず、ただ単に吹聴される事のみを目的に作られたコンテンツは、出落ちでしかない。だが、全てのコンテンツの消費速度が速まる中で、それですら、一瞬ですら話題になればよいと考える人間も増えた。そんな中で玉石混交の度合いは益々深まってゆくのみである。